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あしあと

    宮谷坂(郷土芸能宮谷坂 福田保存会)

    • [公開日:]
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    • ID:230

    宮谷坂(郷土芸能宮谷坂 福田保存会)

    宮谷坂(みやざくざか) 
     土気城主酒井定隆(さかいさだたか・読み方は諸説あり)が土気城を再建した際、鬼門除けとして宮を建立しました。その地が谷の中にあることから、宮谷(みやざく)と呼ばれるようになったそうです。
     この地には本國寺(ほんこくじ)という日蓮宗の寺院があり、江戸時代の初め二代将軍秀忠の許可をうけ壇林(だんりん)を開校、学問の場として各地から学僧達が集まり、最盛期には800名を超すほど規模の大きな壇林でした。
     宮谷坂は、大網から沓掛(くつかけ)へ通じる古い道にあり、位置は、現在の大網中学校の外れ辺りであったようで、戦後、坂は改善されました。

    大網宿のおさん
     
     時期は不明ですが、大網宿の飲屋に「おさん」という美人の女中がおりました。「おさん」は多くの学僧たちに慕われていたそうです。
     やがて、修行を終え故郷に帰る僧が「おさん」に未練を残して歌ったのが、この宮谷坂です。

    福田保存会
     
     福田保存会では、この歌に戦後の頃から踊りを付けて現在に伝えています。
    宮谷坂

    宮谷坂(みやざくざか)