お塚山(おつかやま)
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<市指定文化財 史跡>
・所在地 大網5748
・所有者 高橋家
・年代 江戸
・指定日 昭和47年5月1日
・所在地 大網5748
・所有者 高橋家
・年代 江戸
・指定日 昭和47年5月1日
お塚山(おつかやま)
お塚山(つかやま)は、慶長(けいちょう)2年(1597年)、日経(にっきょう)上人が
法華宗布教のため、星谷(ほしや)に建立した宝立山方墳寺(ほうふんじ)の跡である。
日経上人は、不受不施(ふじゅふせ)の立場を貫く強信者であったため、
徳川 家康(とくがわ いえやす)の怒りにふれ、京都六条河原で弟子5人と共に
耳・鼻そぎの刑に処せられた。
しかし、日経の信仰心はたじろくことなく、その後も弟子と共に布教活動を続けたため
寛永(かんえい)4年(1627年)、代官三浦 監物(みうら けんもつ)が幕府の命を受け
方墳寺を焼き払った。
明治44年(1911年)、地元有志により、日経上人三百年忌記念碑が建立されている。