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あしあと

    お塚山(おつかやま)

    • [公開日:]
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    • ID:244
    <市指定文化財 史跡>
       ・所在地  大網5748
       ・所有者  高橋家
       ・年代    江戸
       ・指定日  昭和47年5月1日
    お塚山(おつかやま)

    お塚山(おつかやま)
     

     お塚山(つかやま)は、慶長(けいちょう)2年(1597年)、日経(にっきょう)上人が

     法華宗布教のため、星谷(ほしや)に建立した宝立山方墳寺(ほうふんじ)の跡である。

     日経上人は、不受不施(ふじゅふせ)の立場を貫く強信者であったため、

     徳川 家康(とくがわ いえやす)の怒りにふれ、京都六条河原で弟子5人と共に

     耳・鼻そぎの刑に処せられた。

     しかし、日経の信仰心はたじろくことなく、その後も弟子と共に布教活動を続けたため

     寛永(かんえい)4年(1627年)、代官三浦 監物(みうら けんもつ)が幕府の命を受け

     方墳寺を焼き払った。

     明治44年(1911年)、地元有志により、日経上人三百年忌記念碑が建立されている。