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稲葉黙斎の孤松庵跡(いなばもくさいのこしょうあんあと)

[2015年12月17日]

<市指定文化財 史跡>
   ・所在地  清名幸谷1792
   ・所有者  清名幸谷地区共有
   ・年代    江戸
   ・指定日  昭和53年7月20日

稲葉黙斎の孤松庵跡(いなばもくさいのこしょうあんあと)

稲葉黙斎の孤松庵跡(いなばもくさいのこしょうあんあと)
 

稲葉 黙斎は、享保(きょうほう)17年(1732年)江戸日本橋で生まれ、

「東の稲葉黙斎、西の久米訂斎(くめていさい)」と称揚された朱子学者である。

天明(てんめい)元年(1781年)、父迂斎(うさい)の弟子、鵜沢孝七郎(近義)(うざわこうしちろう(ちかよし))

を頼って本市清名幸谷に来住し、学舎「孤松庵(こしょうあん)」を開き、近郷の子弟の教育に尽くすかたわら、

崎門学(きもんがく)の完成と先輩遺稿の集録を完成し、上総道学(かずさどうがく)の名を史上に残した。

寛政(かんせい)11年(1799年)、67歳で没し、山武市元倡寺に墓地(県指定文化財)がある。

組織内ジャンル

教育委員会 生涯学習課生涯学習班


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