稲葉黙斎の孤松庵跡(いなばもくさいのこしょうあんあと)
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<市指定文化財 史跡>
・所在地 清名幸谷1792
・所有者 清名幸谷地区共有
・年代 江戸
・指定日 昭和53年7月20日
稲葉黙斎の孤松庵跡(いなばもくさいのこしょうあんあと)
稲葉 黙斎は、享保(きょうほう)17年(1732年)江戸日本橋で生まれ、
「東の稲葉黙斎、西の久米訂斎(くめていさい)」と称揚された朱子学者である。
天明(てんめい)元年(1781年)、父迂斎(うさい)の弟子、鵜沢孝七郎(近義)(うざわこうしちろう(ちかよし))
を頼って本市清名幸谷に来住し、学舎「孤松庵(こしょうあん)」を開き、近郷の子弟の教育に尽くすかたわら、
崎門学(きもんがく)の完成と先輩遺稿の集録を完成し、上総道学(かずさどうがく)の名を史上に残した。
寛政(かんせい)11年(1799年)、67歳で没し、山武市元倡寺に墓地(県指定文化財)がある。